将棋を指す少年の動画 (糸満大綱引・1960年代)

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琉球王国時代の沖縄では盤上遊戯としては囲碁が大いに遊ばれていて、伝統将棋である象棋チュンジーも普及していた。
日本将棋人口が増加するのは復帰後のことで、それまでの将棋はマイナーな遊びだった。

新聞紙面にも囲碁欄は戦後10年ほどで復活したが、将棋欄が掲載されたのは復帰後(1973年)のことである
(追記:この項、間違いがありました。実際には1959年ごろ琉球新報に将棋コーナーが掲載されていました。沖縄最初の将棋大会(1959年)も参照ください)

今でも沖縄の競技人口は囲碁が何倍も多いと思われる (日本では逆に将棋の方が多い)。




将棋は子供の遊び?

囲碁というゲームは初心者には敷居が高く、特に石の生死や終局の判定が難しい。昔は入門用の9路盤も無かったのでなおさらである。

それに比べると将棋はわかりやすい。玉を取れば勝ちである。子供同士でも遊べるし、私も遊んでいた。小学校の週一回の課内クラブにも将棋があって、参加するための競争率はかなり高かったと思う。

そのころは将棋を指していると「家の手伝いをしろ」とか「勉強しろ」と言われたもので、最近の「将棋を指すと頭がよくなる」「礼儀正しくなる」と言う話を聞くと時代の差を感じる。

珍しい将棋対局風景の動画

競技人口も少なく、指しているのは子供が多かったせいか、復帰前の写真や動画を見ても将棋を指しているものは見当たらない。
(囲碁なら検索すればたくさん出てくる)

そのような貴重な将棋風景の動画があった。1960年代の糸満大綱引きの1シーン。まだ糸満町の時代である。場所は糸満ロータリー付近だろうか。

4人ほどの少年が将棋盤を囲んでいる。
対局風景は 2:14-2:22 と 2:44-2:47 の二カ所。同一の対局と思われる。

1960's Rx "BLACKIE SAN" OKINAWA ITOMAN TUG-OF-WAR FESTIVAL betatest 720px – YouTube

(動画のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください)

局面を推理してみる(1)

対局風景を見かけたら局面を把握したくなるのが将棋指しというものである。解像度が低くてわかりにくいが、推測してみた。

20160623-itoman-shogi-1

1960's Rx "BLACKIE SAN" OKINAWA ITOMAN TUG-OF-WAR FESTIVAL betatest 720px – YouTube

上記は2:17ごろの風景。左側の少年が角側の端歩を突いたところ。このあと右側の少年が角道を開ける。

相居飛車だが飛車が初期位置にない。浮き飛車だと思われる。
左側の少年は角側の金銀を上げているが、右側の少年の金銀は初期位置のままなので、手数が合わない。たぶん右側が飛車先交換をしたのだろう。また、先手は左側だと思われる。

推測すると、局面と棋譜はこんな感じか。ここから△3四歩▲7六歩で将棋の風景は途切れる。

20160623-itoman-shogi-1

▲2六歩△8四歩▲7八金△8五歩▲6八銀△8六歩
▲同歩△同飛▲8七歩△8五飛▲2五歩1四歩
▲2六飛△1三角▲9六歩 (以下、△3四歩▲7六歩)

局面を推理してみる(2)

2:46ごろの風景。再度カメラに収められたときにはかなり手が進んでいる。盤上の駒の枚数から考えて持ち駒があるはずだが、両者とも握りしめているため枚数不明。

20160623-itoman-shogi-2

手番は先手(左側の少年)で、ここから3二に何かを打ったように見える。しかし、この位置には後手金が効いているはずなので、先手の駒が何か効いているはずだ。

いろいろ推測した結果が下記局面(持ち歩の数は適当)。先手が飛車先突破して龍を成り込んだのだろう。大優勢である。

20160623-itoman-shogi-2

対局風景はここまでで、あとは大綱引きに戻る。

対局者は高校生か中学生だろうか。当時15歳だとしても今では70歳前後。もし機会があれば当時の話を聞いてみたいものだ。

参考リンク