沖縄最初の将棋大会(1959年)その後

沖縄の将棋の歴史

沖縄最初の将棋大会(1959年)」に書いたように、沖縄最初の将棋大会は1959年4月に国際通りのレストラン東海道にて行われました。第二回も1959年11月に行われ、佐瀬勇次七段(当時)が来沖されました。その後、主催の琉球新報紙に佐瀬七段による将棋欄が連載されることとなりました。

その後、将棋大会はどうなったのでしょうか?

将棋大会の経緯

当時の琉球新報紙を調べたところ、第六回大会(1962年)までは開催されたことがわかりました。その後1年余の記事をチェックしても大会記録は掲載されていなかったので、第六回で終了したものと思われます (もしかしたら調査漏れがあるかもしれません。わかったら追記します)。

日時 会場 参加人数
第1回 1959年4月25-26日 レストラン東海道 70名
第2回 1959年11月14-15日 レストラン東海道 42名
第3回 1960年4月9-10日 レストラン東海道 42名
第4回 1960年12月10-11日 個人宅(グランドオリオン前) 31名
第5回 1961年4月15-16日 レストラン長命 47名
第6回 1962年6月24日 大文閣 80名

佐瀬七段の将棋欄(将棋のさし方)も1963年2月1日の手筋集のあとは掲載がありません。1963年ごろに一度将棋欄・大会が断絶したように見えます。

参加人数

初回に70名集まった後は40名前後の参加人数でしたが、第6回大会は80名もの参加者が集まりました。第6回大会広告には「一級、有段者格は審判、運営委員にあたってもらい、試合出場を遠慮」とあり、初級者が大勢参加したためしょう。実際、参加者はB組17人・C組17人・D組46人であり、大半は初級者だったと思われます。

将棋愛好家の裾野は広く、今も昔も初級者向けの大会が望まれているのだと思います。

参加者の棋力

第三回大会では日本将棋連盟佐瀬七段から認定状が贈られました。優勝者に1級、その他4・5・8・9級が贈られています。当時のクラス分けはA・B・C組ですが、現在の沖縄大会のB・C・D級に当たる棋力でしょうか?
(昔の初段は今の三段ぐらいあるという説もあるので、比較は難しいとは思いますが)

第6回大会の広告には「一級、有段者格」という表記もありますので、将棋クラブなどで段位を与えていたのかもしれません。
(「1955年(昭和30)頃には大宝館(現在の東宝劇場)の屋上にテント小屋の将棋倶楽部クラブができた」と、沖縄大百科事典にも記載されています)。

豪華な大会賞品

第1回大会では賞状の他、優勝者には優勝旗・背広、二位に杯(カップ)・ワイシャツが贈られました。第5回からは大きな優勝杯、第6回はさらに天童市から贈られた王将盾が追加されています。参加費50セントの大会にしては豪華だと思います。

琉球新報 1961年4月13日(木)朝刊6面

琉球新報1962年6月10日(日)6面

大会会場

第1回から3回までのレストラン東海道、第5回のレストラン長命は国際通り山城時計店隣です。もしかしたら名称変更した同じ場所かもしれませんが、はっきりしません。
当時の琉球新報社は美栄橋区御成橋通り(現在の沖銀本店)にあり、近場の会場を選んだのでしょうか。

第4回大会は広告では「国際大通り 万人屋」ですが、記事では個人宅にて行われたと書かれています。何か事情があって変更されたのかもしれません。参加人数も少ないし。

第6回大会は松山の大文閣で行われました。那覇商業高校・松山公園の裏にあたります。大文閣の名はマンションの名前に残っています。

その他

当時は自家用車は普及していなかったので、バスなどを使って参加されたのだと思います。チェスクロックのない時代なので大会終了が夜になることもあり、遠方からの参加者は大変だったと思います。

1963年の6回大会以降は将棋大会は開催されなかったと思われます。琉球大学将棋研究クラブの会報(将棋研究創刊号、1969年)が発行されるころには、若い人の記憶には残っていなかったのでしょう。

さらに時代が下って、第一回アマ名人戦が開催されるのは10年近くあと、1972年(復帰後)になります。

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