1987年5月12日 第1回沖縄市長杯争奪将棋大会

2023/10/12沖縄の将棋の歴史, 読み物

国立国会図書館デジタルコレクションで過去の記事を調べていたら、今は亡き「近代将棋」誌の1987年8月号の広告に以下のような記載があった。

沖縄に関する特集らしいので、雑誌を入手して調べてみました。

○特集・沖縄将棋事情
(略)
将棋ジャーナル 毎月21日書店発売



特集記事「沖縄将棋事情」はグラビア写真が8〜9ページ、記事が32〜41ページまで。雑誌全体で140ページなので、全体の8%ほどが沖縄関係の記事である。

将棋ジャーナル 1987年8月号表紙

将棋ジャーナル 1987年8月号 P.8-9
(女性参加者がいないように見えるのは、現在との大きな違いだと思う)

将棋ジャーナルとは

将棋ジャーナルは日本アマチュア将棋連盟の機関誌。Wikipediaによると、1977年8月創刊、1993年夏の第169号を以て休刊した。

第1回沖縄市長杯争奪将棋大会

記事のメインは同年5月10日(日)に行われた「第1回沖縄市長杯争奪将棋大会」である。将棋ジャーナル誌記事によると参加者は150名。琉球新報紙の1987年5月12日(火)12面の記事によると、「小学一年生のちびっ子ファンから七十四歳のお年寄りまで百五十人の愛好者が詰めかけた」とあり、有段者による市長杯戦のほかに一般戦(1-5級)、素人戦(6-9級)、ちびっ子戦が行われたとある。

将棋ジャーナル誌には当時の沖縄市長であった桑江朝幸氏も寄稿されているが、なぜか将棋については記事内で触れられていない。

本大会は少なくとも1989年11月の第3回までは行われたようだ。琉球新報・沖縄タイムス両紙に記事がある。しかしながら、1990年以降は確認できなかった。1990年に桑江氏が沖縄市長を退任しているのと関係あるのだろうか。

当時の将棋の普及状況

将棋ジャーナル誌には、当時琉球新報中部支社長であった山根安昇氏の記事も掲載されている。

沖縄はもともと全国的にも囲碁の盛んなところで、有名プロ棋士の往来も数多い。県出身のプロも数人出ている。ところがどういうわけか将棋の方はさっぱり。復帰前の将棋人口は、それこそ数えるほどしかいなかった。それが復帰後はどうだろう。若い人たちを中心に急速な普及をみせ、地方大会を開催できるまでになった。
(中略)
復帰後の将棋の普及ぶりを見れば、近い将来将棋のプロが誕生するのも決して夢ではないように思う。いま沖縄の新聞は、将棋人口が少ないことから、碁と違って地元での対戦棋譜を載せていないが、琉球新報社では将棋の普及を狙って近く地元の棋譜も載せたいと考えている。

将棋ジャーナル 1987年8月号 P.34-35


将棋ジャーナル誌には沖縄県将棋連盟第1回アンケートも掲載されており、沖縄県将棋連盟と名護・宜野湾・与那原・八重山支部からの回答が掲載されている。故豊田敏夫氏の記事では「現在では九つのサークル(支部・同好会)があり」「どの大会でも常に120名から160名の参加者で賑わっております」とある。

また、復帰後の将棋の普及状況は電話帳からも窺える。復帰当時の1972年の電話帳には将棋道場は1件も掲載されていないが、本大会が行われた1987年の電話帳には那覇市と沖縄市に2件ずつが掲載されている。囲碁や麻雀には及ばないまでも、将棋人口は着実に増えていたのだろう。

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