沖縄最初の将棋大会(1959年)
沖縄タイムス社の「沖縄大百科事典」(1983年)の将棋の項目には以下のように書かれている。琉球新報・沖縄タイムスの新聞紙面に将棋欄ができたのも復帰後のことなので、将棋大会もそのころから始まったのだと漠然と思っていたのだが、実はもっと昔、1959年に将棋大会が開催されていた。
戦後、徐々に日本将棋の愛好者が増え、1955年(昭和30)頃には大宝館(現在の東宝劇場)の屋上にテント小屋の将棋
倶楽部 ができた。
(中略)
72年にプロ棋士丸田祐三九段の来島を機会に那覇市前島に将棋道場が設けられた。その年に沖縄タイムス主催の第一回アマ名人戦が開催され、渡口雅春名人が誕生した。
(中略)
75年5月には、星雅彦を支部長とする日本将棋連盟那覇支部が認証された。沖縄大百科事典 中ケ~ト 413ページ 項目の執筆者は星雅彦氏。
第一回琉球新報主催アマチュア将棋大会
1959年4月25・26日の二日間(土日)に渡って行われました。当時は週休二日制ではないので、土曜日は午後一時から。半ドンならギリギリ間に合う時間。
琉球新報1959年4月10日(金)7面の案内によると参加費は50セント。結構高い。
大会会場のレストラン東海道は「山城時計店隣」「松尾バス停留所前」と案内されている。地番は「沖縄県那覇市字松尾173番地 合資会社レストラン東海道」らしい※1。現在のキャプテンズインの辺りだろうか? (後で調べて追記します)。
(追記:地番回収ゼンリン地図1969年番では松尾175番地が現お菓子御殿近くにあるので、このあたりか。バス停前だし)
(さらに追記:国際通りの58号線側は美栄橋町、逆側が松尾なのだけど、美栄橋町になる前は山城時計店のあたりまで松尾・松尾区だったので、判断が難しい)
- ※1 合資会社レストラン東海道の企業情報|企業INDEXナビ(法人番号:6360003002101)
- グダグダ(β) 松尾区(昭和26)
大会開催時の記事では会場は「松尾通りレストラン東海道」とある。松尾通りは「沖縄・国際通り物語」のP.105によると『那覇税務署(現在の松尾三叉路付近)からガーブ端(現在のむつみ橋跡)の間(中略)四七〇メートルは当時、「松尾通り」と呼んでいた』とある。これだと上記推測よりもかなり安里側になるのだが。要調査。
第一回大会記事
沖縄将棋連盟会長に選出された安里積千代氏は後の衆議院議員。このころは立法院議員・社大党委員長。
「四つのグループにわけて」と書かれているが、棋力別ではなさそう。三敗失格形式・8回戦まであり対局数が多いため、便宜上グループ分けしたものと思われる。約70名が4回戦終了時点で43名にしか減っていない。チェスクロックもない時代なので運営は大変だったと思う。
「好角家」は本来は相撲愛好家の意味。誤用だろうか。
アマチュア将棋大会賑わう
四十三名が勝ち残る
沖繩将棋連盟を結成 會長に安里積千代氏本社主催第一回「アマチュア将棋大会」は二十五日、雨降りというのに好角家が定刻前から詰めかけ那覇市内松尾通りレストラン東海道二階で盛大に行われた。
この日はチュンジー沖縄名人真栄田世勲や日本棋院六段山城正光氏、同五段下地玄忠氏、その他大学生もまじえた約七十名の将棋ファンが参加して熱戦がくりひろげられた。対局はA、B、C、Dの四つのグループにわけて行われたが、沖縄での将棋大会は戦前戦後を通じてこんどがはじめてとあって参加者のハリキリ方も大変なもの。
(中略)
なお、最終日きょうの試合は同じくレストラン東海道で午前十時から行われる。琉球新報 1959年4月26日(日)5面
下記は大会翌日の記事。先後をジャンケンで決めたと記事に書かれていて、これはチュンジーの影響なのだろうか。
盤面に熱戦を展開 アマチュア将棋大会
沖繩一は与那城さん 競合下地氏を軍門に降す25日から二日間にわたって行われた本社主催第一回「アマチュア将棋大会」は二十六日熱戦の幕をとじた。参加者は六十名、戦前戦後を通じて初の将棋会とあって、会場那覇市松尾通りレストラン東海道二階は両日とも熱心な将棋ファンが定刻前からつめかけ、将棋熱をいやが上にもあおったが、この期間中に沖縄将棋連盟(会長安里積千代氏)も誕生、最終日のきのうは八名による決勝トーナメントの末、アマチュア将棋沖縄一に与那城太郎氏が決定、入賞者に商品が贈られた。
(後略)琉球新報 1959年4月27日(月)5面
第二回大会
大会は年二回開催。2回目は1959年11月14・15日(土日)に行われました。参加人数が42名と激減しています。人数から想像するに、前回大会で予選落ちした方が参加されていないのだと思う。負ける大会には参加しなくなるのは今も昔も変わらない。第2回大会から、沖縄将棋連盟会長は真栄田世勲氏になっている。
「沖繩一」目指して熱戦 本社主催アマ将棋大会賑う
本社主催第二回アマチュア将棋大会は沖縄将棋連盟講演、丸忠不二家洋品店協賛で、十四日午後二時から那覇市国際本通りレストラン東海道で四十二名のファンが参加して開かれた。
(中略)
日本将棋連盟理事佐瀬勇次七段の祝辞、遠藤仁審判長の注意があって午後二時半からA、B、Cの3組にわかれて熱戦を展開した。
(後略)琉球新報1959年11月15日(日)5面
佐瀬七段のメッセージが別枠に掲載されていて、それによると「戦前、東京日日新聞社主催のアマチュア将棋選手権大会に沖縄からも代表が参加しました」とのこと。これ何時のことなのだろうか。
もし、こちらの大会に県予選が行われていれば、こちらの方が沖縄初の大会かもしれない。
琉球新報1959年11月15日(日)5面
佐瀬七段のメッセージには「琉球新報社の要望により将棋欄を開設することになりました」と書かれている。しかし、復帰後に将棋欄が開設されるまで紙面で見た覚えがないんだよな。どこかでアマチュア大会も将棋欄も途絶えたのではなかろうか? この件もあとで調べてみたい。
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