1986年2月 大山名人と将棋の旅(船で沖縄)

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オキナワグラフ2017年8月号にて沖縄将棋連合会会長のインタビュー記事が載っているとの情報がぷりうすさんのブログに掲載されていました。このオキナワグラフの記事は、沖縄の将棋界の歴史が伺える大変貴重な記事です。

記事には「歓 大山十五世名人と将棋の旅御一行様」と書かれた横断幕の前で撮影された記念写真がありました。会長にお伺いしたところ、撮影時期は1985年-1986年前後ではないかとのことでした。

以下、新聞・雑誌等の記事を掘り起こしてみます。

琉球新報記事から

1986年2月18日(火)の琉球新報17面によると、一行は「日本将棋連盟と近代将棋社の企画した“大山十五世名人と将棋の旅”」で沖縄を訪れたとのこと。名人らは沖縄都ホテルにて指導対局を行い、大山名人は三面指しを行ったそうです。当時はプロ棋士の来沖も珍しい時代ですから、三面指しでの指導は驚異に思われたのかもしれません。記事にもその雰囲気が漂っています。

余裕の三面指し 将棋の大山名人 県内のファンを指導

将棋の大山康晴十五世名人らの指導対局が十七日夕、那覇市内の沖縄都ホテルで行われた。この日、大山名人は、地元愛好者と三面指し。対局者をうならせた。
(中略)
大山名人の指導対局の周りは数十人が人垣をなし、名人の指しを食い入るように見つめていた。

三人指しでも名人は余裕しゃくしゃく、地元愛好者が考えあぐねているのに、名人はパッと指すのが対照的だった。
(後略)

琉球新報1986年2月18日(火) 17面

記事内には後に沖縄アマ竜王になるS二段(寄宮中)の名前も出てきます。

また、同日の記者席(政治関係の小ネタ枠)では県の嶺井副知事が大山康晴十五世名人の表敬訪問を受けたという話が掲載されています。「王将」・「一歩千金」・「仁者寿」の三枚をもらった嶺井副知事が、「やはり王将は知事だ知事にあげよう」と言って自分用には「一歩千金」の方を選んだというエピソードが紹介されています。

沖縄タイムス記事から

沖縄タイムスにも記事がありました。こちらの方が少し詳しいです。記者のメモ欄にも新報記者席欄と同様の記事があります。

大山名人対局に感激 将棋ファン60人が懇親

日本将棋連盟、近代将棋者の主催する「大山十五世名人と将棋の旅」の一行百二十人が、17日午後来県し、沖縄の愛好者も交え対局や将棋談義に花を咲かせ交流を深め合った。将棋の旅は今回で七回目だが沖縄は初めて。
(中略)
大山十五世名人、佐瀬勇次八段、前田裕司七段、宮田利男六段、中田功三段、森信吾五級らが三名指しで沖縄の腕自慢たちに胸を貸した。
(中略)
ツアー一行は南部観光などのあと十八日午後、空路東京へ帰る。
(後略)

沖縄タイムス1986年2月18日(火) 17面

近代将棋1986年2月号

2月号の編集手帳欄には将棋の旅の募集記事が掲載されています。それによると「ことしは2月15日(土)から18日までの4日間」「費用は8万8千円」「参加棋士は大山十五世名人、石田、佐瀬八段、前田七段、宮田六段、中田三段。なお、山川次彦八段と奨励会棋士1名が応援参加されることが決定しました」とあります。タイムス記事の記載と微妙に参加棋士が異なっています。

2月15日に東京を出て船中2泊し17日に沖縄着、18日には空路東京へと、かなり大急ぎなスケジュールです。実に昭和っぽい旅です。船旅は50時間を要したとのこと(近代将棋1986年4月号編集手帳欄)。

近代将棋1986年4月号

ツアーを企画した近代将棋誌にも記事が載っています。将棋世界も探してみましたが、さすがにこちらには載っていませんでした。

この旅は、今となっては珍しい船旅です。船内での将棋大会や宴会の様子がグラビアに掲載されています。120名も参加しているのでさぞ賑やかだったことでしょう。現代のクルーズツアーの先駆けなのかもしれません。宿泊地の都ホテルにて指導対局とサイン会を行った写真も掲載されていて、写真背景の看板・琉装の踊りはオキナワグラフ写真と一致しています。

大山十五世名人と将棋の旅

第8回を数え、恒例ともなった将棋の旅。今回は、2月15、16、17、18日の4日間にわたり沖縄へ。大山康晴十五世名人と一行は将棋と観光を満喫した。
(中略)
沖縄では2日間にわたって、海洋博記念公園・守礼門・玉泉洞・沖縄戦跡国定公園などを3台のバスに分乗して観光。
(中略)

大山十五世名人の大車輪ぶりは目を見張るばかり。宿泊地の那覇市の都ホテルでは地元ファンに指導対局のサービス(写真上)とサイン会も(写真下)
(後略)

近代将棋1986年4月号グラビア
(上の写真に写っている学生服姿の方がS二段でしょうか?)


他のグラビア写真の背景にはひめゆりの塔が写っています。大山名人は1966年来沖の際もひめゆりの塔前で写真撮影されています(将棋世界1966年9月号)。大山康晴忍の一手には「多くの同僚が沖縄に送られて戦死する中、大山は内地勤務が続いた」(P.74)とあり、大山十五世名人にとっては観光や将棋普及だけの旅ではなかったと思われます。

続き: 1966年7月 大山名人の沖縄日記 (第二回全国高校囲碁・将棋選手権大会沖縄予選)